熱海断食道場は源泉の温泉を所有しています。そして海・山・緑の素晴らしい 展望があります。晴れていれば、相模湾の美しい日の出を見ることができます。

牧内泰道物語-末期癌を克服した生涯青年

熱海断食道場 牧内泰道物語

熱海断食道場の創始者、Dr.マイクこと牧内泰道氏は、2012年1月に他界いたしました。牧内氏は、約40年間にわたり、西洋医学だけに頼る治療をやめたい人、徹底的に体質改善をしたい人を対象として、断食指導、排毒指導を行ってきました。

末期癌を克服した生涯青年

牧内泰道

  人は苦労するため悩むために生まれてきたのではなく
  この世に遊びにきたのです。
  毎日楽しく、遊んで遊んで、遊びぬく
  ・・・これが人生
  ワッハッハッと行こうじゃないか
  (牧内泰道)

Dr.マイクこと牧内泰道氏は、若き日に胃癌を患い、医師にすぐに手術する必要があると言われましたが、それを拒否して断食と食事療法で克服。のちに熱海断食道場の創始者となりました。
このサイトでは、2012年の年初に80年間の生涯を終えた牧内泰道氏を忍びます。




末期がんで、さまざまな民間療法・宗教を遍歴

牧内泰道が熱海断食道場を開設するまで

肉が好きで、コーヒーを飲み、コーラを飲んでハンバーガーを食べるような生活を続けていた牧内は、33歳で癌を患った。
そして、西洋医学はもちろん、東洋医学から民間療法、そして宗教まで、あちこち放浪した。
枇杷葉温灸、操体法、西式などの健康法を試し、宗教は創価学会、立正佼成会、霊友会ノ般若院、生長の家と入信したという。
「末期だったから切ってもどうしようもないと思った。結局、切らなかったのが良かった。」

「やるべき事は全部やった。心を変えれば良いかと考えて宗教もやり尽くした。それでも癌は治らなかった。もうだめだと思って、死ににインドへ行ったんですよ。リシケシのヨガ道場で断食しました。
古寺で壁を見ると地獄の絵が描いてある。俺も死んだら地獄へ行くのかなと思って眺めていたら、反対側に極楽の絵がある。
じっと見ていたら、両方にご馳走があるんだよ。地獄では、長~い箸を持って、俺が食う、俺が食うと争っているけれど、口に入らないからやせこけて鬼のような顔をしている。極楽にも同じ物があるんだけれど、皆食べている」

仏教でいう、「三尺箸の譬え」である。地獄と極楽には同じ物がある。
極楽では、箸でつまんだご馳走を、お互いに向かいの人の□に入れてあげるので、皆満ち足りている。
「そうそう! それを見てたら涙が出てきちゃった。俺はもうすぐ死ぬけど、地獄の人生だったなと思ったの。
神様、仏様がいるなら、もう一度俺に人生をくださいと、もう死ぬ思いでお願いしたの」

するとまもなく、甘酸っぱい臭いの便が、大量に出てきたのだという。
「癌の便は臭いの。身体の中の汚れだね。腐ったようなのがパンパン出たとたんにスカツとして、爽快になっちゃった。
そうして、何故かいろんなことが分かるようになった。今日はこういう事があるとか、この人はこういう病気だとか、この角を曲がるとたばこ屋さんがあるとか。
そうなったら嬉しくなっちゃった。世の中が金色に見えるんだ。あの人は私だ。私はあの人だ。みんな友達だ。
みんないい人だ。きらきら輝いて生きている!」

東京へ帰って、府中で『東京ヨガ断食道場』の看板を出したという牧内氏。ところが、道場へ来る人は誰もいなかったのだという。
「大きな断食道場を建てたのに、お客さん、一人も来ないの。女房は『あんた、これじゃ食えないじゃないの』と文句を言う。
だから『お前看板見りゃ分かるだろ。断食って書いてある。だから飯は食えません』つてね(笑)」

だが、沖ヨガの沖正弘氏らが応援してくれるようになり、少しずつ人が集まるようになっていったという。
「でもね、府中の道場は前にマンションが出来たりして環境が悪くなってきた。
そうすると病気も治りにくくなってきたんです。近所に風水とか家相学の名人がいて、その人の助言もあってこの熱海へ引っ越してきました。
ここはまれにみるエネルギーが高い土地で、海が見える青龍の地であり、小高い丘があって高徳の氏が住むべき玄武の地だと」
そこへさらに、木炭を敷いたりトルマリンを使ったりしてエネルギーを高めた。

「癌は、生き方が間違っているというお知らせだよね。
癌に感謝して、病気に感謝して、自分で作った病気は自分で治す。そうすれば医療費も掛からない。消費税も上げなくて済む。
どうせ人間は死亡率百パーセントなんだから、死ぬまで生きろ!生きて生きて、生き抜け!ワハハ!」

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